続、明智光秀

「明智光秀の塚」
祇園からほど近い白川通三条下がるの目立たないところに光秀の首が埋められたと伝えられている小さな塚があります。光秀は小栗栖で重傷を負い自害して家臣に首を打たせその首は隠されたといわれています。ただその首はすぐに発見され粟田口で晒されたあと蹴上付近に埋めて塚が築かれました。その後江戸時代中期にこの地に移され光秀を弔う場所になったそうです。
この首塚に対して下に胴塚を追加しました。

「胴塚」
蹴上の首塚に対して山科勧修寺の我が家近くには胴体が埋葬されたという胴塚もありました。

おまけ「越前一乗谷」
光秀が美濃かを脱出して住んでいた越前朝倉家の一乗谷です。数年前に高校の同級生と先生も一緒に半世紀ぶりの修学旅行。当時は復元途中でしたが今はもっと立派に整備されていることと思います。鎧を着けた武将は私です。

 

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