魚卵料理

「ぶりの子」
スーパーでたまたま見つけた大きくて安い魚の卵。鰤の子らしい。
家族が食べたいというのでとりあえず買って帰って料理することに。
今はネットでどんな食材でもレシピがでてくるので助かります。
意外と難しくもなく美味しく完成。
ただかなり大きいので大量でした。明日も食べます。

日本で最初の高速道路

「名神高速道路」
自宅近くが日本最初の高速道路の「起工の地」です。昭和33年にこの場所で起工、昭和36年には山科工区がほぼ完成し様々な走行試験を行った後、昭和38年に栗東インター~尼崎インター間が開通したとのことです。名神高速道路の中央分離帯内(下り線側)にも碑が設置されているそうですが確認したことがありません。
明治時代に出来た京都~大津間の鉄道には当時トンネルがなくて、京都~稲荷~山科~と迂回していたようで山科駅もこの場所だったそうです。山科の名神高速道路はほとんどこの鉄道の跡地を使っています。

ドクターイエロー

「幸せの黄色い新幹線」
目撃すると幸せになれるという都市伝説もある黄色の新幹線「ドクターイエロー」。たまたま運行予定を教えてもらったので昨日初めて見ることが出来ました。のぞみタイプは東京と博多間を毎月3往復、こだまタイプは隔月で1往復しているそうです。JRも運行予定を発表しませんのでマニアが一般の目撃情報から各駅の到着日や時間を推測しています。でも鉄道ファンや撮り鉄には情報が浸透しているようで京都駅の到着予定時間に行ってみるとマニアがカメラを構えて集まっています。

お年玉付き年賀状

「年賀状、今年の当たり」
今年の年賀状は切手シートが6枚当たりました。今年は大入り袋のような斬新なデザインで一見切手シートとは見えません。昨年(令和二年)までのものは切り取り線があって裏には糊が付いていましたが、今年分は切り取り線も無くて裏に糊も付いていませんので名刺の紙のようです。多分真ん中にある数字の周りが切り抜けるようになっているようです。
年々年賀状は少なくなります。もう歳なのでとか現役を引退したのでとかで、今年で賀状を出すのを終わりますという方が増えます。喪中のご連絡もたくさん頂きますが、以前は親御さんのご不幸とかでしたが、次第にご兄弟のご不幸や連れ合いを亡くされたりと、次第に近い世代の方のご不幸で寂しいことです。ご本人がお亡くなりになったという喪中ハガキを頂いて驚くこともあります。
当方は一年分の失礼をお詫びするつもりでのご挨拶です。もう少し賀状を続けます。

続、明智光秀

「明智光秀の塚」
祇園からほど近い白川通三条下がるの目立たないところに光秀の首が埋められたと伝えられている小さな塚があります。光秀は小栗栖で重傷を負い自害して家臣に首を打たせその首は隠されたといわれています。ただその首はすぐに発見され粟田口で晒されたあと蹴上付近に埋めて塚が築かれました。その後江戸時代中期にこの地に移され光秀を弔う場所になったそうです。
この首塚に対して下に胴塚を追加しました。

「胴塚」
蹴上の首塚に対して山科勧修寺の我が家近くには胴体が埋葬されたという胴塚もありました。

おまけ「越前一乗谷」
光秀が美濃かを脱出して住んでいた越前朝倉家の一乗谷です。数年前に高校の同級生と先生も一緒に半世紀ぶりの修学旅行。当時は復元途中でしたが今はもっと立派に整備されていることと思います。鎧を着けた武将は私です。

 

続、明智光秀

「明智藪」
我が家から車で10分くらいの小栗栖に光秀が討たれたという藪があります。入り口には「明智藪」と書かれた碑も建っています。隣接する本教寺の領内でお墓はないのですが光秀終焉の地ということで本堂横には供養塔も建てられました。寺は高台にありますので見晴らしも良く南は宇治方面が望めます。天王山で豊臣軍に敗れたのは天正十年(1582年)6月13日、坂本城をめざしていた途中のあえない最期の地です。