923同窓会

「飲み会」
久しぶりに集まりましたが、相変わらず賑やかなことでした。残念ながら仕事の都合で参加できないメンバーもいましたが楽しい会になりました。皆それぞれの道で頑張っていて嬉しいことです。
コロナが落ち着いてまた923再開できればと思っていますが・・・。

石塀小路

「石塀小路」
久しぶりに石塀小路を歩いてみました。高い石垣と石畳で京情緒が一杯です。入口が多少分かり難いですが下河原から高台寺へ抜ける小路で右へ左へと曲がっています。祇園から一歩踏み入るだけで突然異次元の世界に入りますので高台寺へ行かれる方にはいつもお勧めしています。そういえば石原裕次郎がよく来ていたBarも未だにありました。

諏訪蘇山

「お抹茶」
923閉店時に建仁寺内のご住職から諏訪蘇山さんの青磁のお抹茶茶碗を頂戴しました。最近は家でもよくお抹茶をいただきますが、立派なお茶碗で点てると味も変わります。今日から27日まで石塀小路のギャルリー和田で「四代 諏訪蘇山展」開催中です。


レコード処分

「写真整理」
相変わらずの断捨離です。ここ30年以上の年間ダイアリーがあって毎日どなたが来られたかということが書かれています。太秦の撮影所もありましたので役者さんも多く芸能人もよく来られていました。政治家も地元議員さんや国政の大臣、経済界の重鎮、現在の茶道、華道などの家元など。確かに昔は相当忙しかったような記録です。
写真も懐かしいものが千枚以上出てきましたので、差し支えないものをそれぞれにお送りしています。ただもう亡くなられた方も多くあり、お送りできないような写真ものは処分しています。日記帳は完全処分しましたが、写真整理はやっと半分終わりです。
今日は約300枚のレコードの処分。べラフォンテ、プレスリー時代からジャズ、シャンソン、フォーク、クラシックまで懐かしいものがたくさんありました。
次の断捨離はレコードプレイヤーなどのオーディオセットとオーディオコンポ

知恩院

「知恩院」
久しぶりに知恩院へ行ってみました。今年4月に国宝の御影堂が大修理を終えてコロナ騒ぎがなければ盛大な落慶法要で相当な数の人が参拝に来られたことと思います。大きな三門と除夜の鐘でも有名な大鐘楼の迫力にも圧倒されます。

硝子の茶室

「京都市京セラ美術館」
京都市美術館が全面改装され東側に立派な日本庭園が造られましたが、今はその池の中に現代美術作家の杉本博司さん作の「硝子の茶室 聞鳥庵(モンドリアン)」が設けられています。京都市京セラ美術館開館記念展として「杉本博司 瑠璃の浄土」も現在開催中です。茶室の後ろに見える東山キューブ展示室の屋上テラスも美しい東山の山並みが見られる快適なスペースです。日本庭園も屋上テラスも入場自由です。

調理師免許

「調理師」
断捨離しているとまた珍しいもの出てきました。そういえば当時一週間だけの猛勉強で貰った調理師免許。学科だけの試験で包丁を持ったこともなく料理のできない調理師でこの免許が役に立ったこともありません。
独りもんになってからは家の食事、店の突き出しなど毎日料理することになって、いろいろ勉強することになりました。今は店がなくなって家で料理する時間が増え、TVの料理番組もよく見ていろいろ挑戦してみます。
また全国の優しい方々からいろんなものを頂戴しますので嬉しいことです。北海道からたくさんの食材、鹿児島から黒毛和牛、新潟から笹だんご、島根からあご野焼などなど。ありがたい!感謝、感謝です。

北びわ湖

「北びわ湖」
びわ湖北部の高島市にある近江最古の大社「白鬚(しらひげ)神社」。
神社前の湖岸から約58m沖に建つ大鳥居の景観が魅力。
あとの写真はマキノ高原、マキノスキー場へのアプローチ道で「メタセコイヤ並木」。全長2.4キロに渡ってメタセコイヤ約500本が植えられているさまは壮観。それぞれの季節で様子を変え楽しませてくれます。

作曲コンテスト

「青春の門」
断捨離しているといろんなものが出てきますが、今回は作曲でグランプリを頂いた時の盾と賞状と週刊誌の記事など。かつて五木寛之さんの「青春の門」シリーズの作曲コンテストが行われました。毎回五木寛之さんの詞2曲ずつ多分8回ほどのシリーズで16曲ほどのコンテストでしたが、その中で2回グランプリを戴きました。記事中の入選はグランプリのことです。東京の講談社で表彰式があり五木寛之さんから直接表彰状を頂戴しました。そのあと旅人というデュオでレコード化もされていて忘れたころに僅かな印税が入ります。週刊誌には楽譜、選評、私の細かすぎるプロフィールと立派な犯罪者(笑)のような写真が掲載されています。
      

         

   

哲学の道

「法然院へ」
運動不足解消のため蹴上から南禅寺を抜けて哲学の道をぶらぶら。
最初の写真はウエスティン都ホテルの前にある蹴上発電所。
当初は疎水インクラインの動力源として使われた。
営業用としては日本最古の水力発電所。
そのあと南禅寺から哲学の道に入って大豊神社へ寄って法然院まで。
どこもほとんど人がいません